Pastor

佐味 健志(さみ たけし) 主管牧師

1965年生まれ。
大阪昭和聖書教会で幼きときから教会学校に通い、中学3年生でバプテスマを受ける。
そのころから将来の献身のビジョンが与えられる。
1992年アーサー・ホーランド牧師と共に全日本リバイバル十字架行進参加を機に、献身生活に入る。
1996年から韓国に渡り、オンヌリ教会、ヨイド純福音教会などで学び奉仕する。
2009年から勤めていたサラン教会日本語礼拝部に在職中、博多キリスト教会から招聘があり、2012年1月1日より現職。
博多キリスト教会に与えられた「愛のうちに建つ教会」をテーマに、愛のリバイバルを求めて奮闘中。
佐味健志牧師家族
佐味牧師家族と川内名誉牧師家族

博多キリスト教会集合写真



川内 研二(かわち けんじ) 名誉牧師

1940年 生まれる。佐賀県嬉野市嬉野町出身。
18歳のとき受浸しクリスチャンとなる。
その後、牧師となるため学びをなす。
日本クリスチャン・カレッジ(神学校)卒業。
西南学院大学神学部神学科修了。
1967年~1969年  日本バプテスト連盟 佐賀キリスト教会で副牧師として奉職。
1970年~2011年  日本バプテスト連盟 博多キリスト教会で牧師として奉職。
現在 博多キリスト教会の名誉(協力)牧師として奉職。

2 件のコメント:

  1. 失礼します。御一読をお願いします。
    間違っているところがあったらご指摘ください。
    一部のキリスト教関係者が嫌がらせ行為をしています。止める様に言って下さい。
    聞く耳を持たないキリスト教聖職者の方が結構居ります。自分の説教だけ聞けということなんでしょうが、聞く耳も持ってください、受信欄を持たなかったり、受信したのに受信拒否の処理をしたり、コンピューター・ウイルスを送信したり、コンピューター上のいかがわしい行為をしたり・・と。
    .
    題:キリスト教の神は光を創り、男を創り・・
     キリスト教は、キリスト教の神は光を創り、男を創り、
    その男の骨から女を創り、地を這う動物などを創った神だ
    ・・という。
     そして、何でもできる神なのだと言うのだが・・、
     その神の国は創っていないという。
     肝心の神の国ではないか・・と、言うなかれ。
     だから、その穴(けつ)ふきのために・・、
     キリスト教徒は・・、
     「その神の国・御国を来たらせたまえ」と祈らねばなら
    ないという。
     もともと創らなかった神へ祈るという矛盾なんだが・・
     ??・・
     そして、キリスト教は言う、
     「神の国は神の支配が及んでいるところです」・・と。
     神の国への神の支配は及んでいるのだが・・地上に神は
    創らなかったから、キリスト教徒が祈らねばならないとい
    う。地上と言わず、天と言わず何でも作った神なのだが
     何でも創ったキリスト教の神は、及ばないところがある
    という。
     宇宙創造は嘘だったのか? 
     神の意志で創らなかったのなら、キリスト教徒がいくら
    祈ったって出来る訳がない・・
     そういう、矛盾の中に・・信仰が形作られているのが・・
    キリスト教。
     キリスト教には『論理矛盾』があちこちに・・、
     びっくりするくらいある。バカバカしい宗教である。
     優秀な人材が、キリスト教に人生を奪われているが・・、
     この優秀な人材が・・人類に寄与する正業に就いたなら
    ば、人類は本当により良くなり、幸せになると思う。
     ダーウィンは、キリスト教聖職者になれば、研究時間が
    多く取れると、安易な職業のキリスト教聖職者に就いたと
    いう話しはあるが・・。
     何もせず、安易のままなら勿体(もったい)ない。
     ほとんどのキリスト教聖職者は、この様な時間の使い方
    をしているのだろう。
    ..
     (詳しくは、以下のブログへ)
    URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

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  2. 一部のキリスト教関係者が嫌がらせをしたと言うのは確かだと思いますm( __ __ )m

    (ウイルスを送って来るのは初耳)

    しかし、それはモルモン教やエホバの証人といった、キリスト教に分類はされているもののキリスト教界では異端と言われている教会(マタイ24:11、23-26)や、一部の信徒に限られたことであり、そのことによってキリスト教全体を批判するのはどうかと思われます。(・з・)

    キリスト教は神が「光-男-女-etc」を創ったと書かれていましたが何だかヨハネの福音書と創世記をごっちゃにして理解しているようです…(ヨハネ1:4-5)

    創世記1:1には「初めに神が天と地を創られた」とかいてありますが、英語の聖書には「God created the heaven and the earth」と書いてありますこのheavenがただskyを使えば良かったのになぜこの言葉を選んだのでしょうか?

    それは「天=天国=神の国」と解釈することができるからではないでしょうか⁇

    またこれが神の国をさしていなくてもコメント欄に書かれていた通りに神の国は神の支配が及ぶところであります。ですので神の国はつくられるものではないのです。

    しかし、ここでそれならこの地上、地球に「神の国を来たらせたまえ」といのるのは矛盾しているじゃないかというこよですね^ ^

    実はこのことも聖書に全部書いてあります。天使であったルシエルが堕落してルシファー(明けの明星)として地球に落とされました。(イザヤ14:12)

    この出来事が天地創造の前なのか後ろなのかはわかりませんが、この出来事によって地球に罪が入り(創世記3章)悪魔がこの地の支配者となったのです。(ヨハネ12:44、エペソ6:12)

    なので、この地上に神の国を来らせたまえと言うのは悪魔の支配から解放されて本当で完全な支配をしてくださいと言えるのではないでしょうか。

    すると、新たな矛盾が生じます。それは「神がこの地球を支配してなかったらそれのどこが神なんだ⁇」という疑問です。

    これは神がこの地球を支配されていないと言うよりは悪魔にこの地球を支配することを「一時的」に許されたと言うことなのです。(マタイ13:29~30、黙示録22:20)

    このように聖書は矛盾してるように思える箇所たくさんあります。例えば「義人は信仰によって生きる」「行いのない信仰は死んだ信仰だ」etc

    しかしながら、聖書は新訳旧約聖書66巻全部で完全な本であって一節一節で矛盾していると言うのは著者でない私たちが全体像をつかむことが難しいからなのです。

    よって、どんなに私たちが聖書を理解しようとしても完全に理解すつことに限界があるのです。

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